鹿島・香取神宮巡礼記①   期待と絶望

2022年11月29日

どうしてこんなことになってしまったのか。こんなことになるなんて誰が予想できただろうか。責任者は誰か。誰のせいでもない、強いて言うなら自業自得だろう。それでも、あんまりだ、こんなこと。男は駅から出て、遠ざかる列車の音を縋るように耳で追いながら、目の前に広がる殺風景な田園を虚ろな瞳で眺めていた。彼はスマホを握りしめてただ立ち尽くすほかなかった。何も打つ手はなかった。本当に、そうするしかなかったのだ。

数刻前、オレは総武本線で成田方面に向かう電車の中にいた。耳にはイヤホンを付け、最近ハマっていたボカロの曲を一通り流し聴きしていた。今日は日帰りで鹿島神宮と香取神宮に参詣するつもりだ。時間があったら帰りに成田観光もしたいなあと、考えている。ずっと前から鹿島・香取に参りたいと思っていたので、浮足立つ思いで窓の外を眺めていた。銚子行の電車に乗り換えるために成田駅で降りる。駅の中には観光客向けのでっかい提灯がぶら下がっている。ようこそ成田へ、なんて言われたら今すぐ成田観光して新勝寺に参拝したい気分になっちゃうでしょうが。でも、まずは二つの神宮に行かねば。日本最古級の神宮になァ・・・!平安時代の法典、延喜式には、神宮の社格をもつ神社は全国に3つしかない。一つは伊勢神宮、そして残りの2つは今回訪ねる鹿島神宮と香取神宮である。平安時代の日本の中心地は言うまでもなく京都である。ところがなぜ最も位が高いはずの三つの神宮のうち二つがこんな辺境の常陸や下総に存在するのか。ロマンがあると思わないか?・・・・なに?思わないだって?あ、そう。辺境が実は栄えていた、というエピソードはオレの大好物なのだ。予定としては、まず鹿島神宮に行き、次いで香取神宮、佐原観光をして最後に成田山新勝寺に行くというものだ。そう、予定としては。

銚子行の電車がホームに入ってくる。無邪気なオレはその様子をワクワクしながら見守っていた。これから地獄が始まるとも知らずに。田舎だからか、ドアの数は少ない。乗り込んで迷わず車両の一番前に陣取った。この先は単線なので、典型的な田舎の風景が一望できそうだ。ゆっくりと電車は動き出す。絶望電車が動き出す。都会のぬるま湯に浸かったクソガキに田舎の洗礼を受けさせるべく、電車は先へ先へと走ってゆく。

この先、小江戸佐原を過ぎた次の駅、香取で鹿島線に乗り換えて鹿島神宮に行くつもりなのだ。乗り換えまでまだしばらくあるはず、今は美しい景色を堪能することにした。沿線の駅ではホームに交通系ICをタッチするポールがたっており、利用客の少なさをうかがわせる。開閉する改札を作るまでもないということか。それでも住宅の数はそこそこあったので、確かに生活している人々はいるようだった。電車が佐原駅を過ぎたころ、佐原を代表する川と川沿いの古い街並みを見ることができる。あとでこの地を探索できると思うと、とってもワクワクする。そうしてオレはこれからの旅に期待を胸に弾ませながら、うっとりと水郷地帯の情景を眺めていた。

やっぱり旅っていいなァ・・・!感傷に浸る癖のあるオレは、この時も溺れんばかりに旅愁に浸りきっていた。感動することは悪いことではない。むしろ人生を深みのあるものにする、人間にとって意義深い機能だ。しかし時には本当に人間を溺れさせてしまうことだってあるのだ。何事も過ぎることは良くない。そして、大きく情動が動くとき、それは大きな隙ができることを意味する。

あの時、オレは電車の一番前の窓にかじりついて景色を眺めていた。無論感動していたことは言うまでもない。そして、その感動に意識が飲まれていた。外の世界と理性ではなく感情でつながっていた。だから、駅名が「香取」であることも、扉が開いていることも、咄嗟にそれが意味することを理解できなかった。閉まりゆく扉も、この状態のオレにとっては意識を構成する夥しい数のピースのうち、特に意味を持たない小さな一つの断片に過ぎなかったのだ。僅かに残った脳の論理的な部分が汽笛を鳴らすと同時に列車は動き出した。あ、やらかした。この時オレはそう悟った。

ま、こういうこともあるよね!乗り過ごしたことを理解したオレは、まだ楽観的だった。次の駅で降りてまた戻って来ればいいじゃん!そう考えていたのだ。なんてオメデタイ脳味噌をしているんだろう。その脳味噌はお花の肥料にでもするのか?スマホで乗り換え情報を検索したオレは、そこで初めて自分の犯した過ちの大きさを知る。頭から血の気が引いたのを今でも覚えている。次の駅から香取に戻る電車は一時間半後にならないと来ないみたいなのだ。何かのマチガイだよな?そう考えて何度も検索しなおしたが結果は同じだった。これが、地方か。地方の連中がSNSで電車を乗り過ごしたことを嘆いているのを見たことがあるが、正直大げさだと思って小馬鹿にしていた。申し訳ありませんでした。

鹿島・香取神宮巡礼記②につづく