鹿島・香取神宮巡礼記②
千葉のど田舎で電車を乗り過ごしてしまったオレ。迷走する旅行の計画。オレ、ピンチ!
このまま電車に乗っていだところで、にっちもさっちもいかないのは分かっていた。仕方が無いので次の水郷駅で降りた。分かってはいたが、見渡す限り何も無い。駅の前を通る幹線道路沿いには住宅が建っているが、後はガソリンスタンドがあるだけで、本当に何も無い。刈り入れが終わり、しばらく用無しになった田んぼがただ広がっているだけであるから、マジで何も無い。遥か向こうには川か海か、とにかく水があるのは見える。水郷とはよく言ったものだ。ガチで何も無い。読者の諸君、ど田舎に行った時は、乗り過ごし、乗り遅れは致命的である。特に都民は気を付けよう。その事を肝に銘じて欲しい。オレの屍を超えてゆけ。プルスウルトラ!
取り敢えず香取駅までは歩いた方が速そうだ。誠に不本意ながら、計画を変更せざるを得ない。最初に鹿島神宮に行く積りであったが、鹿島線も都合よく乗れるとは限らない。幸い香取駅から香取神宮までは徒歩圏内である。まずは香取神宮に参拝するとしよう。
何も無いとは言ったが、さすが水郷というだけあって関東最大級の田園が広がる。見渡す限りの田んぼとはココの事か。あちこちに水路が巡らされていて、白鳥が悠々と泳いでいた。長い首で水面下の餌を探っているようだ。水はけの悪い畦道をぐちゃぐちゃと進んでいく。とりあえず駅前を通る幹線道路と合流する事にした。
しかしこの道路、歩道がほぼ無いに等しい上に、車がとんでもない速度で走り抜けてゆく。歩行者からしたら命懸けである。しかし、段々と交通の規則性があることに気がつく。信号の影響だろうか。だから車が来ないうちに前に進み、車がやってきたら民家の入り口などの窪みに入ってやり過ごす。こんなふうにして少しずつ進んでいった。さながら現実世界でスーパーマリオブラザーズでもやっている様な気分だ。銚子線はあんなに本数が少ないのに、車はかなりの交通量だ。流石は地方、途轍もない車社会である。ふと周りを見てみると、歩いている人などオレ以外一人もいない。民家はあるのに。
この土地は利根川がすぐ近くを流れながら、小高い丘が川沿いに続いている。側高神社の看板が見えた。どうやらその丘の上にあるらしい。調べてみると、香取神宮の摂社らしい。摂社というのは、ある神社の祭神にゆかりの深い神を祀った神社で、この側高神社の祭神は香取神宮の経津主命の妻神ではないかといわれている(側高神社では祭神は秘匿されているようだ)。時間に余裕があれば寄ってもよかったのだが、生憎予定が狂っているのでスルー。またいつかご縁があれば行こう。
香取駅に着き、踏切を渡って案内通りに香取神宮へと歩く。途中ちょっとした丘を越えて香取神宮へ到着。周りを見渡してみると、四方を丘に囲まれており、小さな盆地のような場所に香取神宮が建っている。まるで要塞のようだ。一説によると、昔、霞ヶ浦がまだ海だったころ、東北はまだ蝦夷の勢力が支配していた。だからちょうど香取神宮、鹿島神宮があるあたりが朝廷の軍事的な最前線だった。霞が浦は当時内海というか湾だったので、外海からの敵の侵入に備えるため、霞ケ浦の入り口の両岸にそれぞれ神宮を建て、これを軍事拠点とすることにした。これが香取・鹿島両神宮の起源だといわれている。だから起伏の富んだ地形の内側に神宮を建てるのは、その説をもとに考えるとつじつまが合う。こう考えると、かつて3つの神宮のうちの2つがこんな辺境にあるのも合点がいく。戦線から遠い場所に居を構えるより、敵地になるべく近いところに比重を置くことは戦略的に間違っていない。戦線の近くに都を置いた例は歴史的に見て世界中で見られる。
香取神宮の参道にはたくさんお店があった。出店はまだ出ていないようだったが、昼頃にはやるのだろう。おいしそうな匂いが、旅が始まって早々歩き倒したオレの鼻を、腹を、捉えて離さない。結局ヨモギ団子とコーヒーを頼んで一服した。昔の参拝者もこんな風に一服したのだろうと考えながら、おいしくいただいた。
鹿島・香取神宮巡礼記③につづくんだぜ!