中山道をただ歩くだけのブログ 鴻巣宿~熊谷宿その一

鴻巣宿には鴻神社なるものがある。鴻巣宿総鎮守らしい。聞いたこともないような神社なので入ってみることにした。

中山道から見た鴻神社。
神社ののぼり。目が怖い。

どうやら安産祈願・子授けがメインの神社のようだった。まあ、鴻だからね。厄除けや縁結びも。中に入ると、建物自体は新しそうだった。割とこじんまりしている。拝殿のほうへ行くと、狛犬が置かれるべきところに鴻がいる。これは狛鴻とでもいうべきか。

かわい・・・目怖っ。
かわいい。
拝殿の様子。
お願いたまご。子授け祈願か?

鴻巣氏のホームページによると、この鴻巣という土地にはコウノトリ伝説があるらしい。昔々、この地には樹の神を祀る祠があった。樹の神は一日でもお供えを怠ると祟りを起こしたので、村人はなけなしの食料からお供えするなど、畏れ敬っていた。ある日、隣村の男によって祠が汚され、この村は日照りが起こった。この祟りの中、樹の神の御神木の上にコウノトリが巣を作った。すると、大蛇が現れてコウノトリの巣を襲い、卵を食べようとしたその時、怒ったコウノトリが反撃して大蛇を退治した。それ以降この村が祟りに見舞われることはなくなったという。村人はコウノトリを祀り、これが鴻神社の起源となったという。

鴻巣を抜けたオレは、うまそうな店を何とか見つけ出そうと必死だった。ない、ない、飯がない。腹が鳴り始める。仕方がない、もうちょっと歩けば何かあるかも、と先を急ぐことにした。鴻巣宿を過ぎた先にあるY字路を左に進む。今まで高崎線の北側を通っていたが、ここから踏切を超えて南側を歩くことになる。

踏切を渡るとき、電車が来る気配がないのにもかかわらず、どの車も必ず停止線で止まってから安全確認をして渡っていく。未だかつて見たことがないぐらいマナーがいい。流石は免許の街、鴻巣である。

道なりに歩いていたらデカい庚申塔を見つけた。ここらへんで昔の旅人は休憩していたらしい。

かの有名な権八地蔵かと思ったが、違った。

ここ、行田を治めていた豪族は箕田源氏と呼ばれ、武蔵権介であった箕田充は京都の頼光四天王の一人、渡辺綱の父であるらしい。渡辺綱の出生地はこの箕田郡なのだそうだ。知らなかった。勝手に京都の人だと思ってた。

歴史解説の掲示板とベンチがあったので、もうすでに足と心が折れそうになっていたオレはしばらくぐったりと座り込んでいた。

鴻巣宿~熊谷宿その二につづく