中山道をただ歩くだけのブログ 上尾宿~桶川宿その一

2022年11月9日

おはよう。オレだ、ヤカタだ。飛騨高山旅行について書いていたんだが、つい先日上尾から熊谷まで中山道を歩いてきたのでそのことについて綴ろうと思う。別に観光地というわけではなく、平たく言えば普通の一般道を歩いただけなので、記憶が曖昧になるとタダでさえおもんない記事が輪をかけて希薄な内容になるのを危惧し、記憶がフレッシュなうちに書いておこうと思った次第だ。なぜ上尾から始めるのかと思うかもしれないが、実はだいぶ前に日本橋から上尾宿まで歩いたことがあったのだが、如何せん細かいことを忘れてしまったので今は書かないでおく。いつか気が向いたら書くかもしれない。期待しないで待っていてくれ。

さて、タイトルにあるとおり、これは中山道を男がひとりで歩いてるだけの記事である。勘のいい読者は気が付いたかもしれないが、要するに脳筋企画である。日本橋から熊谷まで歩いてみたが、文字通り足が棒になる感覚を体験できた。例えばディズニーランドを一日中歩き回っていると足が痛くなるだろう。しかしその程度ならまだ序の口なのだ。ずっと歩いていると、大腿四頭筋が収縮を拒むようになり、足を前に出しにくくなる。その感覚はまるで足が思うように動かない棒なったかのよう。こんなただただシンドイだけのことをやるような奇特な人間はあまりいない(いてたまるか)と思うので、やってみた。

オレの通う大学は学園祭期間になっているが、大学入学以来ぼっちのまま気が付いたら1年半もの時間が流れていたオレは学園祭を一緒に回る友達がいるわけでもなく、増してや一緒に旅行する金も友達もないので、バイトと格闘技にいそしむ連休になる予定であった。しかしオレは閃いてしまったのさ。中山道の旅はまだまだ始まったばかりだということにな。歩くだけだから旅行費の節約にもなる。てなわけでオレは少しの荷物をリュックサックに詰めて上尾駅に降臨した。天気は悪くない、が、午後は曇るかもらしい。ま、オレにはカンケイないね。すぐに愛しの中山道に駆け寄って熱い抱擁を交わし、しばし再会の喜びを分かち合った。オレはなんて馬鹿だったんだ。オレにはコイツがいるじゃあないか。オレは決してぼっちなどではない、素敵な伴侶がいるのだ。こうしてオレたちはぴったりと寄り添って歩き出した。

上尾駅前から中山道に沿って歩くと、右手の脇道の奥にお寺の門がみえる。これが遍照院だ。応永元年(1394年)開山の真言宗のお寺である。本尊は大聖不動明王で、またの名を上尾身代わり拭い不動尊と呼ばれているそうだ。朝だからか、人はいない。スッキリした綺麗な寺である。縁があって何度も訪れたことがあるが、日当たりが良く、とてものどかな場所で気に入っている。無縁仏も綺麗に整理されて参道に立ち並んでいる。

奥に見えるのが本堂。無縁仏が道沿いに整然と並んでいる。
身代わり拭い小不動
孝女お玉の墓。逆光で見えにくいのはご勘弁。

上尾宿の遊女として有名だった孝女お玉の墓もある。美貌で賢く、大変気立ての良かったお玉は、宿場でも評判の遊女だった。遊女は死ぬと無縁仏として葬られるのが通例だったが、20歳そこそこで病死したのち、このように立派な墓まで建てられた。これほどの待遇は、彼女がいかに愛されていたかをうかがわせる。

5円玉を賽銭箱に入れ、ご本尊に祈った。折角なので曾爺さんと曾婆さんの墓にも手を合わせておいた。そのあと、急いで中山道に戻る。なるべく時間に余裕を持たねば。

さて、中山道では庚申塔なるものをよく見かける。馬頭観音も見かけるが、庚申様をかたどった石仏のほうが圧倒的に多い(オレの体感である)。庚申信仰は本来中国から伝わった民間信仰で、文字通り、庚申(かのえさる)の日に人々は徹夜で過ごさねばならないというものだ。なんでも人の体にはには三戸の虫という虫がすんでいて、それが庚申の日に体内から抜け出して天帝にその人の罪を告げると信じられていたようで、じゃあ徹夜すればオッケーじゃね?ということで徹夜するらしい。へえ・・・それでいいんだ・・・・・と思わなくもない。だが、これだけだと街道沿いに庚申塔が多いことの説明がつかない。ネットで調べると、どうも庚申信仰は江戸時代に庶民信仰として仏教や神道に包摂されていったという。庚申様は神道においては猿田彦大神と習合したようである(どちらも申と猿の文字が入ってるからという洒落だろう)。猿田彦命といえば天孫降臨の際に瓊瓊杵尊を道案内した国津神である。その出来事から旅の神としても信仰されるようになったと考えられ、猿田彦命と同一視されることもある庚申様も旅の神として信仰されるようになったのではないか。グーグルマップで中山道をリサーチしていると、中山道付近に猿田彦神社があちこちにあるのに気が付く。

遍照院を通り過ぎてしばらく進むと右手に庚申塔らしき石仏が

上尾からしばらく進むと、右手に酒蔵が見える。「文楽」との文字が目印だ。上尾の水は酒に適さないから酒蔵が寄り付かなかったという話を聞いたことがあったので驚いたが、現に目の前にある。日本酒に目がないオレからしたらうれしい発見である。どうやら酒どころである秩父からの伏流水が上尾で湧き出すらしい。その水を利用して醸造したのがここ、北西酒造店の銘酒「文楽」だそう。残念ながらまだ営業してなかった。まあ、寄り道ばかりするわけにもいかぬから仕方なかろう。