奥美濃ぐじょのナアー紀行②
長良川鉄道に美並苅安という駅がある。郡上八幡の何駅か手前であるのだが、駅のホームに円空仏が設置してある。聞けばここ美並は、かの有名な仏師円空の出身地であるという。円空仏は以前飛騨高山を訪れた際に町の博物館で見たことがある。荒い彫り方で精巧とはとても言えないのだが、荒々しい凄味があるかと思えば人間的な温かさもみせる独特の存在感があって、ずっと見ていられる。まさかここでも会えるとは。この駅は無人駅のようであるが、駅の待合室では地元民らしき4,5人の人々が飲み物を片手に談笑していた。待合室であると同時にちょっとした地域の交流センターである。こんな場所で談笑しているのはじいちゃんばあちゃんばっかりだと思っていたが、意外と若かったので印象的だった。たぶん2、30代だろうな。
いよいよアナウンスは郡上八幡駅に到着したことを告げ、乗客はいそいそと下車準備を始める。みんなで一緒に郡上八幡へレッツゴー!と思いきや意外にも乗客の半分ぐらいはまだ乗り続けるようだった。降りると真夏の熱気がズンと出迎えてくれる。余計なお世話である。ホームには郡上おどりと書かれた提灯がぶら下がってゆらゆらとオレたちを歓迎していた。木造の渡り廊下(跨線橋というらしいぞ!)は、閉じ込められた熱のせいで木のにおいが焙りだされ充満している。ネットの情報によるとこの駅舎は国の登録有形文化財らしい。どうりで立派なわけだ。駅舎を出ると真夏の山の上の激つよ太陽光線が降り注ぐ。標高の高い山間部に来れば少しは暑さから逃れられることを期待してやってきた都民の一切の希望を打ち砕く強烈なお出迎えだった。思わずヤフー天気を開いたら36℃。東京と変わらないやんけ!しかも数日前は郡上市が日本で一番暑かったらしい。お前!お前!!一連の裏切りと、台風が来ているとは到底思えない雲一つない青空から繰り出される殺人光線を一切遮るもののない低い街並みの中、オレは呪いの言葉を吐き続けながら絶望と憎しみに満ちた足取りで歩いていた。
もうどれだけ歩いただろう。こう暑くては、駅から郡上八幡の中心地までの距離が絶妙に遠いのも一種の嫌がらせのように思えてくるから不思議だ。道の両脇の建物は古く立派なものが多いようで、うだつの上がっている建物もある。現代社会においてはうだつが上がっているからといってうだつの上がる生活をしているとは限らず文字通りうだつが上がっていてもうだつが上がらない生活をしているのかもしれないということをぐるぐる考えていたオレは暑さのあまり頭がおかしくなってきたのかもしれない。前方からアメリカンスタイルのいかついバイク2台が爆音を立てて走ってきた。こんなの東京ではお目にかかれないからラッキーだ。郡上八幡の中心街に近づいてきたようで、観光客も増えてお店も多くなってきた。突如空腹を思い出す。朝5時から何も食べていない。もうお昼時なので何かお腹に入れておきたいと考えた矢先に明宝ポークの文字を発見した。何たる僥倖!オレは迷いなく明宝フランクを頼んでこれを腹の中に納めた。うまい!ジューシー!これに尽きる。うまいものを食ったら甘いものを食べたくなるのが何時の世も人情というやつで、オレも人間である以上この理から逃れられぬ次第であるから血眼になってスウィーツを探す。すると、あるではないか!明宝ジェラートというのが!まさか郡上を訪れて早々明宝二大グルメを制覇できるとは思わなんだ!明宝ジェラートはどうやらオレが知らないだけでそれなりに有名であるらしく、スカイツリーにも店舗を構えるほど人気があるようだ。フレーバーはいろいろあって選べそうもないので、どれがおすすめですかと店員さんに尋ねたら「ふるさとミルク」が一番人気だと教えてくれたのでそれにした。これもまた美味い。優しい甘みだけでなくコクもある。あまりにも美味かったので店員さんに「美味しかったです」と言ってみた。これには店員さんも、もちろんオレもニッコリである。
冷たいものを食べて暑さも幾分落ち着いた。道なりに進んでいくと郡上市の旧庁舎がある。擬洋風の美しく立派な建物である。旧庁舎の前に広場があって、ここが郡上おどりの写真で有名なスポットだろう。真上にはでっかい提灯?のようなそれにしては直線的でカクカクした宇宙船みたいなものがぶら下がっていた。郡上地方ではよく見られるらしいが名前がわからない。旧庁舎の中はお土産屋さんになっているようで、郡上地方の名産物や郡上おどりに関連するグッズが販売されていた。
今からお土産を買っては荷物になってしまうのでそのまま建物を出た。旧庁舎の脇には郡上八幡を語るには欠かせない吉田川が流れている。そして吉田川の飛び込みで有名な新橋がある。台風前だからか川に飛び込もうという人はいなかった。橋には重大事故の存在を警告する文言が赤文字で書かれていた。メッチャ怖い。過去に何件か、無謀な飛び込みをした市外の人間が死亡した事故があるようだ。地元の人間のように飛び込みなれた人でないと痛い目を見ることを物語っている。日本の音風景100選にも選ばれる吉田川の飛び込み、残っていてほしいね。